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理事長 伊吹 薫
[生年月日]昭和23年2月21日
趣味:山歩き、スキー、旅行、映画鑑賞
診察内容や、診察時間、料金、ご質問などは、医療法人IDCのサイトへアクセスをお願い致します。
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アリゾナ(その1)

桜の花見は、腰痛の悪化で自宅で安静にしなければならず、今回の飛行機での旅が耐えられるか少し心配でした。  以前から予定していたアメリカ口蓋裂学会の年次総会に出席するため、ここ2週間ほど腰をかばいながら仕事をしていました。  当日は、温シップをして鎮痛剤を服用し、機内で余分に枕と毛布をもらい体勢を整え、無事太平洋を横断できました。



関西空港から9時間ちょっとのサンフランシスコ空港で、国内線への登場ゲート前のスタバで腹ごしらえです。 アールグレーの紅茶(一番好きな紅茶です)とハム&チーズサンドで$12.30−でした。 UAの機内食はご他聞にもれず美味しいとは言えず、少し口を付けただけで赤ワイン2本(今はお酒類が全て各$6−)を眠り薬に6時間くらい爆睡しました。
今回の旅は学会出席の前に、友人宅を訪問し後輩らと一緒に旧交を温める目的がありました。 



今回出席するアメリカ口蓋裂学会が開催されるPHOENIXへ到着です。  大阪からの先発組は私を含めて5名。 これは発表用の3人分のポスターを大事にかかえ、長旅に疲れた足をストレッチをしながら、荷物が出てくるのを待っている、阪大の女性DRです。 日本人女性もアメリカ人と遜色ない感じになったなあと思い、彼女には失礼ですが撮っちゃいました。  因みに彼女は剣道有段者で、バイクの愛好家です。



HERZでTOYOTAのSUVを借り、一路友人が住んでいるTUCSONへ。  3時間ほどのドライブですが、この道はPEARL HARBOR MEMORIAL HIGHWAYと名づけられています。 そうです真珠湾で日本帝国海軍航空隊に撃沈された戦艦ARIZONAに因んだものです。  本当に、何時までも忘れないように国民の胸に刻み込む努力をしています。 日本人としては複雑な気持ちになります。
 左側通行なのではなく、単に追い越し車線を走っているだけす。 左側の大きな草のベルト帯を超えた所が反対車線です。  パトカーが方向転換するときは、この草地をUターンして追いかけてきます。  南部や中西部はみなこんな感じで、余裕の在る高速道路になっています。   制限時速は75マイル(120KM)で、特に問題は感じませんでしたが、OPTIONのNAVIが困り者の役立たずでした。 TUCSON市内のEXITが殆ど工事中で、HIGHWAYから降りられず、メキシコとの国境の街NOGALES(今、麻薬や銃の密輸で大変なところです)まで危うく行きそうでした。 NAVIには全くこの情報はなく、TUCSONの市街地を越えてHIGHWAYを降り、GAS STATIONのお兄さんに道順を教えてもらいました。 私はTUCSONへは何度か行った事があるのですが、PHOENIXから車で行くのは始めてで、友人にもう少し遅くなると電話(SOFTBANKが使えます)しながらのDRIVEでした。



私の30年来の友人の自宅の居間です。 吹き抜け構造のメキシカンスタイル(アメリカ風メキシカンスタイルと言うのが正しいですが)の家で、寝室は3つでお風呂は3箇所あります。 アメリカ人の感覚ではTUCSON市内の便利なところにあります。 自転車があると通勤、通学には不自由しませんが、車がないと日常生活は出来ません。  近くのスーパーまで4-5KMはあります。



自宅は150坪ほどの敷地で、この地域の住宅としては標準です。 早朝、沢山の野鳥がやってきます。  ハチドリが来て水を飲むのですが、動きが早く撮る事は出来ませんでした。



標高2400Mの山が見え、住宅地と山の間が雨季には池に変わる(ここ10年で3回あったという事です)ため、何も建設されず、見晴らしが良いためここを購入したとのことです。 日本では考えられませんが1500万円はしないそうです。



中央が私の元ボスです。 TENNESSEEの貧しい農家に生まれ、早くして父親を亡くし、苦学してIOWA大学を卒業し世界的に有名な言語病理学の大家になった人です。  戦後世界で、一人勝ちしていた頃のアメリカを体現してきた世代です。  しかし、戦後間もない頃は(大学の寮で新婚生活を送っていたらしいですが)、かまぼこ兵舎の寮に住み、水を床にこぼすと、隣の家にまでそれが流れ込んでいくような状態だったといいます。 戦後の日本占領政策にアメリカは多くの国家予算をつぎ込み、その為に、一部の国民は非常に窮乏していたと話してくれました。 GHQは戦勝国として、日本人に実際以上にアメリカを豊かに見せる必要があったのだとも言っていました。
 この同じCOMMUNITYに長男夫婦の家(アリゾナ大学の天文学の教授)、次男夫婦と孫2人の家(奥さんは医学部教授で助産婦、次男は博士号を有する高校の化学の先生)、そして娘(イタリア美術の専門家で博士:奥にいます)と自分、の3軒の家を所有しています。  アメリカ人の中でも極めて高学歴の家族ではないかと思います。  奥さんは9年前に亡くなられましたが、定年退職後も、悠々と人生を楽しんでいます。 手前はお孫さんで、お客が来るときは相手になってくれる、私にとっても可愛い奴で、今、舞台美術の仕事をしているそうです。  TUCSONでもMAMMA MIAが講演中で、常勤スタッフ15名、非常勤200名位なので、兎に角忙しいと言っていました。



着いたその日、我々5名のためにホームパーティーをして迎えてくれました。 ローストビーフ、鞘インゲンの茹でたもの、サラダ、豆の煮物、カルボナーラ、苺とブドウのサラダそれにビスケット(まあ、パンと言った方が良いか)などで、アメリカ人としては一生懸命、家庭料理を頑張ったという感じです。 この写真のご婦人はボスのガールフレンドで、私も何度もお会いしている方で、東洋関係書籍の翻訳出版会社を息子さんとされていて、とても裕福な方です。 お互いの子供たちのために、遺産問題を起こさないように、入籍はしないとのことで、近くの凄い豪邸に一人で住んでおられます。  海外旅行へも一緒に行かれるそうですが、やはり気を使うので、正直、長旅はしんどいと本音を語っていました。 それにしても、理想的な老後で、アメリカ人の中でも恵まれている方だと思います。  やはり、健康が一番です。

医療法人IDC | 思いつくままに | 23:08 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
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Comment
写真いつの間に!撮らはったんですか?!
自分用に保存させていただきます。
小さい頃は普通サイズだったんですが、高校の頃気づいたら何もかも平均以上になっていました。
 
ご一緒させていただき、ありがとうございました。

posted by 剣道有段者です ,2009/04/28 9:10 PM










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